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子供はみんな哲学者。
と誰かが言っていたような言っていなかったような。
ある少女も子供のころ、哲学者の片りんを見せることがあった。
小学校の帰り道。友達と別れてとぼとぼと歩いていると、町の人たちとすれ違う。
そしてこんなことを思うのだ。
「自分は日ごろ、いろいろなことを考えたり感じたりしている人間である。」
そうあたりまえに信じている。そして、当然ほかの人々も同じように考えたり感じたりしている自分と同じ人間だとおもっているけれど。
はたして本当にそうだろうか。
もしかしたら、ほかの人は人間の形をした張りぼてのロボットで、自分だけがこの世にこのような形でいるのかもしれない・・。ほかの人々は、実は人間じゃないのかもしれない。そして、それは自分には確かめようがないのだ・・。
そう考えると何かしら異空間に紛れ込んだような、なんともいえない気持ちになったりして。
さらに「大人たちはみな、時間は大切、時間は限りがある。」というけれど、
時間は本当は無いんじゃないか、とも思っていた。
きっとその少女は将来、哲学者か宗教者か思想家か、なにかわからないが、とにかく何者かになるやもしれぬ・・。
そう期待のかかるところだが、残念ながらその少女の思考は、家に帰って冷凍庫のなかをのぞいたとたん、
あ~、大好きなこのアイスがこの冷凍庫いっぱい、入っていたらいいのに~
というものにのっとられてしまったため、その少女はその後、哲学者にもなにものにもなることはなかった。
そして時は過ぎ、
いくら好きなアイスでも、MAXだわ2本だわ・・・(げっぷ)
という、分別がつく大人へと成長することとなる。
われ、ときどき哲学を思う。
とはいえ、心のどこかに、この世界の謎を知りたいという気持ちは持ち続けることになる。そのため、その解答を求めて哲学の本を手に取ることもしばしばあった。
けれど、それで蓄積された哲学に関しての知識といえば、
ニーチェの「神は死んだって」なんかかっこいいーとか、
人間は考える〝あし〟ってむかし、足だと思ってたよ、あはは~とか、
ソクラテスの奥さんで悪妻だったんだって、偉人てそういう人多いよね~。
などという、知識とも言えない知識がちらほら脳内にちらばっているくらいだ。
とりあえず、そのように散乱している記憶を、一回体系的にまとめて学びなおしたいなあと思っていたところに出会ったのがこの本。
【飲茶著「「史上最強の哲学入門」&「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」河出書房新社】
西洋哲学偏と、東洋哲学偏の文庫2冊にまたがる大作だけれど、大丈夫。恐れることはない。面白くてサクサク読めます。なぜなら
「史上最強の哲学入門」いかがだったでしょうか。
すべてを書き終えた著者としては、次のような気分です。史上最強の哲学講義大会!
「史上最強の哲学入門」あとがき
終了おおおおぉおおおおっぉぉぉ!
二度とッ!二度とこんな大会はみられないでしょうッッ!
みたいなノリの著者だから(笑)。読んでいて「なんかブログを読んでいるみたい」と思っていたら、ブロガーでした。
では、まずは西洋哲学偏。
「真理」「国家」「神」「存在」の真理におけるそれぞれの哲学の流れを紹介。
では選手(哲学者他)たち、入場します。
プロタゴラス、ソクラテス、デカルト、ヒューム、カント、ヘーゲル、キルケゴール、サルトル、レヴィ=ストロース、デューイ、デリダ、レヴィナス、プラトン、アリストテレス、ホッブズ、ルソー、アダム・スミス、マルクス
・・・・ぜえ、ぜえ・・
エピスクロス、イエス・キリスト、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、ニーチェ、ヘラクレイトス、パルメニデス、デモクリトス、ニュートン、バークリー、フッサール、ハイデガー、ソシュール。
総勢31人!。
聞いたことあるー、という人から、デリダってだりだ?までいろいろいらっしゃる。
それぞれの哲学者たちがどのような思想を展開したかということは、すべてを読み終わった今、ほとんど忘れてしまったのだが、
西洋哲学を一言でいうと
論理を積み上げよ!
だろうか。
まず最初に言葉ありき。真理とは何かを論理、言葉で積み上げていって、矛盾が見つかればまたそこを言葉で補っていく。
そうやって言葉で論理を積み上げていくことによって、真理にたどり着こうとする歴史だという。
著者は、西洋の歴史は「階段」だという。
より優れた論、究極の審理を求めて、先人の論を乗り越えて高みへ高みへと一歩ずつ登っていくイメージ。数え切れぬほどの人間たちが、二五〇〇年もの膨大な時間を費やし積み上げてきた強力な学問。それが西洋哲学である。
「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」P16
次に、東洋哲学偏。
「悟り」「タオ」「禅」の真理のこちらの選手たちは全部で十三人。
ヤージュナヴァルキャ、釈迦、龍樹、孔子、墨子、孟子、荀子、韓非子、老子、荘子、親鸞、栄西、道元。
こちらは聞きなれた名前が多いですね。
東洋哲学を一言でいうと、
AHA体験をせよ!
まず最初に真理ありき。答えがすでに最初にあり、あとはその答えを体験するための様々な方法が様々な先人たちによって編み出されてきたのが東洋哲学の歴史。
著者は東洋哲学を「ピラミッド」だという。
東洋哲学とは、西洋哲学のように「たくさんの学問と人の手により、ちょっとずつ真理に近づいていく」のではなく、ある日突然「真理に到達した」と言い放つ不遜な人間が現れ、その人の言葉や考え方を後世の人たちが学問としてまとめ上げたものであると言える。
「最強の哲学入門 東洋の哲人たち」P18
なので、東洋哲学では、真理というものは「体験」することがすべてで、いくらそれを「言葉」で説明したところでそれは偽物でしかないとするが、西洋哲学では言葉で説明できないのなら、それは存在しないのと同じことという。
真理に対する考え方が根本的に逆。
西洋と東洋では思想の成り立ちが違うということがわかる。
だから、日本人が「空気を読む」とか「以心伝心」とか「なんとなく」とか「みえないけれどあるんだよ」
なんて感じで乗り切ろうとすると、言葉を重視する西洋人は、
わあい、じゃぱにいずぴーぽー?!
となるわけだ。
「日本人はそんな風に論理的でないからダメなんだ!。そんなことでは世界に対抗できないぞ!」と怒られてしまう。。
しかし最近では、西洋社会でYOGAとかZENとかが流行っているではないですか。もしかしたら、
言葉で論理を積み上げても、真理には到達しないのでは・・?
と思い始めた西洋人たちが増えてきたのかもしれない。
東洋と西洋の思想が融合することで、この先はどのような哲学思想が生まれてくるのか。楽しみなところ。
個人的には、東洋の哲学者おすすめのAHA体験をしてみたいので瞑想などはじめてみるも、まいど迷走して終了。AHA体験は一筋縄ではいかないようです・・。
・・・ま。とりあえず、アイスでも食べよっと。