大河ドラマ with仏陀 【仏陀伝】

「仏陀伝」

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こんなタイトルの本を見かけたとき、どんな内容を想像するだろうか。

お釈迦様のありがたい教えが書かれているんですね。
はは~~~(敬遠

お釈迦様が悟りを開くまでの道のりが描かれているんだろうか…
素晴らしい!(素通り)

とくに仏教に興味がある人でない限り、こんな感じではないだろうか。

しかもページ数787
棚にささっているこの本を通りすがりに見たとき、その背表紙の存在感に思わず二度見をしてしまったほどのインパクト。

敷地面積100坪にもみたない、専門書コーナーもない地方郊外の書店の「80歳からボケない生き方」とか「こころを豊かにする100の方法」などという本が並ぶ中に、英和辞典ジーニアス並みの厚さの茶色い背表紙が鎮座している。

仏教の本・・。

突然、親しくもなかったのに連絡をいきなりくれる同級生の99%が宗教の勧誘か営業というこのご時世に、宗教に関する本を紹介するのは気が引ける。

しかもこの2023年1月現在、前の年に起こった元総理襲撃事件によって明るみに出た某宗教団体の話題がいまだ衰えていない中だ。

しかし安心してください、はいてますよ・・じゃなかった・・
わたくしの宗教観といえば、

仏壇にも神棚にも親しみ、お正月には神社参りをし、節分にはお寺の豆まきイベントにおもむき(しかしおばちゃんたちに押し負けてまったく豆が取れず)、旅行に行っては出雲大社で四礼四拍手し、薬師寺でお守りを購入し、ハロウィンのどんちゃん騒ぎを横目で見ながらクリスマスにはケーキを食べる。

という、無宗教という名の多神教、純ジャパである。

あなたの宗教はなんですか?と海外の人に効かれたら

八百万教です

と答えるしかないのでは、と考えているくらいである。英訳できるのか?

私の宗教に関する唯一の思い出といえば、20代のころに映画「ジーザス・クライスト=スーパースター」を観たことがきっかけで、イエス・キリストの追っかけとなり、


イエス・キリストに関する本やら映画やらやたら読みまくったり観まくったりしたことがあるくらいだ。

そのため、店の在庫となってしまったキリスト教関連書の返品了解を出版社にお願いしたとき、〝返品不可〟で戻ってきたFAXに向かって思わず、

7の70倍許したまえ・・!

と叫んでしまうくらいには知識がついた。

なので、どちらかというと仏陀よりもイエス・キリストに興味がある方かもしれない。

だってお釈迦さまって・・・、ほら・・・、
なんとなくビジュアル的に推しにくい感じしませんか・・(←罰当たり)

以前、ガンダーラ仏像をテレビで見たことがあるのだが、なんとも、かっこよく・・。

なぜこの状態で伝わってきてくれなかったのか・・なぜアジアを通ってきてしまったのか・・・(泣)


ガンダーラから直接来てくれたら、今頃私は熱心な仏教徒であったかもしれないのに・・!と不謹慎なことを思う程度にしか仏教に関心がない人間である。

しかし、・・・・なぜか、気になる。

地味な装丁に圧の強い分厚さで異様な気配を醸し出している本が、棚の前を通るたびに気になってしょうがない。

何度か手に取りパラパラとめくって、意外と読みやすそうな感じにますます読んでみたい気持ちが高まるのだが、やはりこの分厚さと「仏陀伝」というタイトルにおじけずいて棚に戻す。。

ということを繰り返して数日後、

おもむろに私はその本を手にレジへと向かっていた。

迷うくらいなら読んじまえ!というヤケクソである。

そして読破。結論から言うと、

たいへん面白かった。

仏陀の青年期から悟りを開き入滅するまでの物語ではあるのだが、
おそらく本の見た目から想像するものとはだいぶ違っている。

難しい宗教書などではなく、仏陀本人の物語のみならず、国の繁栄と滅亡、そのはざまで生きる人々の人生が描かれた、

ドラマチックなエンターテイメント小説だった。

目次に紹介されている登場人物を数えてみたら60人以上。

大河ドラマを観るような気持で読むことができる、そんな本。
とてもまとめきれないので、こんな読み方もありでは、と以下の4点を切り取ってご紹介してみたい。

釈迦国はどうして滅亡したのか

物語は、お釈迦様(シッダールタ)が、釈迦国という小国の王子だったころから始まる。

王はシッダールタの父、浄飯王であるが、彼はシッダールタの母親である最愛の妻を失った時の衝撃から廃人のようになり、虚無的で享楽的な人生を送るようになっていた。

実質的に国を支えていたのは王子であるシッダールタであり、そのいとこデーヴァダッタである。

ヒマラヤ山脈を背に、大国に囲まれている釈迦国。小国の常として大国に従属してはいるが、武力に優れた優秀な民族として誇り高く生きていた。

しかし、シッダールタが出家したのち、釈迦国は隣国の大国に対してある姦計をめぐらす・・。

その画策はうまく働いていたように思ったが、因果は忘れたころに巡ってくる。

釈迦国は物語の後半、そのことがきっかけとなって壮絶な最期を迎えることとなる。

既に悟りを開いていた仏陀にも、とめられなかった祖国の滅亡。

因果応報が大きな時代のうねりの中でめぐりめぐって帰ってくるさまは、悲しくも深く心に刻まれる・・。

愛が残る、とはどういうことなのか(若干のネタばれあり・・)

シッダールタが釈迦国の王子という立場からドロンして出家してしまった後、国のために奔走したのがいとこのデーヴァダッタである。

精悍で優秀でなんでもできる男。
国のために、人のために尽くす男。

そんな彼はある女性と出会う。
貧しさから父親に売られ、遊女として生きていたルクミニーだ。

悪辣な店からルクミニーを救い出し、生活をサポートするデーヴァダッタ。
二人は心を通い合わせ、惹かれあう。

しかし、何をやらせても優秀なデーヴァダッタだが、実はある大きな欠落を抱えていた。
それゆえなのかはわからないが、溌溂とした青年の心の中には実は常に深い虚無があった。

ルクミニーはその彼の心を深く理解している。でもどうすることもできない。

情熱と虚無が入り交ざったデーヴァダッタのエネルギーは、
ある時は悟りを求める力ともなり、
またある時には破滅へと向かわせる力ともなる。

歴史の大きなうねりの中で、彼ら二人は結局〝人並み〟な幸せを形にすることはかなわなかった。

しかし、絶望の果てにやがて、ルクミニーは気づく。
愛するとはなんなのか。愛が残るとはどういうことなのか。

それを知りたい・・という方はぜひ本編を。

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善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや(若干のネタばれあり・・)

親鸞聖人の言葉として有名なこれ。
善人すら天国に行けるんだから、悪人がいけないわけないじゃん、的なこれ。

善人と悪人、逆じゃないの❓!

と絶対思うこれ。
いろんな人がいろんな説明をしているけれども、やっぱりわからない・・でおなじみの名言。

いまだにこの意味は分からないのだが、この本を読んでいるときに、ふとこの言葉が頭に浮かんだ箇所があった。

仏陀が生きていたこの時代は、前世の行いによって今世の階級が生まれながらに決まるというバラモンの教えが支配していた。
その厳格な階級社会の中で苦しむ人々の救いとなったのが「虚無の思想」である。

前世もない。来世もない。因果応報などないし罰など当たらない。
意味があるとされていることは実は何も意味はないとする思想。
それはある種の人々にとっては、苦しい人生からの解放をもたらす思想であり、救いであった。

さてそんな中、あるところに散々好き放題に生きてきた男がいた。
バラモンの教えを信じている彼は、年を取ったとたんに自分の行いの悪さに来世が心配になり、あることを思いつく。

そうだ!息子に善行を積ませて(自分が)救われよう!

なんでやねん・・というツッコミは当然おこるわけだが、奇怪なことを思いつくのが俗物というもの。

そんな父親から、徹底的なバラモンの教えに準じた善行生活を強いられ育つ息子、アングリマーラ。

虫一匹殺してはならないと、学校に行くときも自分の足元を箒で掃きながら行く、という異常な生活を送っていては、当然社会に順応することができない。
アングリマーラは苦しみの中にいた。

そんなある日、虚無の教えを説く人物プーラナに出会い、感銘を受ける。

父親から強要されていた善行には、なんの意味もないのだ。
自分を苦しめている教えには、何の意味もなかったのだ。

それは彼にとって救いの光だった。

そしてそのあと、すべてに意味がない、ということを証明するために、男は殺人鬼となる。
父を殺し、村の人々を手当たり次第に殺していく。

でも罰など当たらない。やっぱり意味などないのだ。罰など当たらないのだ。

そんなある日、アングリマーラは仏陀と出会う。
そして、目覚めた人の光に照らされた男は、自分が今まで光だと信じていたものが偽物だったと気づく。

ここからがすごかった。

仏陀はアングリマーラを自分の弟子とする。そして彼を悟りの道へと導くために全力を尽くす。

仏陀の弟子たちは、さすがに師匠に疑念を持つ。

いくらすべての衆生を救うのが目的とは言え、村人たちを数百人も見境なく殺しまくった殺人鬼を教団に入れるとなると、民衆から反発も起こるだろう。

なにより、自分たちもその殺人鬼とともに修業するなど受け入れられることではない・・・。

しかし弟子たちの反駁もよそに、仏陀はアングリマーラを救うため全力を傾ける。

そして、男は悟りを開く。

そのあと、悟りを開いたアングリマーラに仏陀は何をしたのか・・。

私が救うのは、たかだかこの世での残りの生、数十年の暮らしではないぞ。永遠の命のことだ。

「仏陀伝」P612

仏陀はアングリマーラを村人たちの中へと連れていく。

息子を殺されたもの。娘を殺されたもの。親を殺されたもの。妻を殺されたもの。大切なものを無残にその男によって殺された者たちが、その殺人鬼の周りに集まってくる。

民衆の怒りは当然ながら激しく渦巻いている。その中に、仏陀とアングリマーラは進み出る。

そして・・。

永遠の命を救うということがどういうことなのか。

分かったというのはおこがましいけれど、なんとなく分かりそうになったような。
そんな、壮絶なシーンだった。

真理とは、虚無なのか。

仏教の中でも一番有名な般若心経。
その意味は「すべては空である」という意味らしい。つまり

こ~れ~も、無い♪
あれも無い♪
ぜんぶ無い♪
きっと無い♪
(「愛の水中花」のメロディーにてお楽しみください)(時代が・・)

といっているらしいのだ。

すべては「空」であるというのは言い換えるとすべてに意味はない、ということなのか。
それって、虚無の思想と同じじゃん・・。

復活や、生まれ変わりや、永遠などに希望を持つことを許さず、生よりも死に目を向けさせ、人にそれを備えさせ、受け入れさせる。<諦>とは仏教における真理の呼び名であるが、ならば仏教は大いなる<諦め>を説くものなのだろうか。むなしい、虚無の教えと同じなのだろうか・・・。

「仏陀伝」P631

実際、この時代に虚無を説いていた前出のインフルエンサー、プーラナに仏陀はこう言われる。

「おぬしが説いてきたのは虚無。(中略)虚無の伝道者、仏陀よな」

「仏陀伝」P631

仏教の教えとは、虚無の教えなのか。

「空」という概念は「何もない」ということではなく、移り変わらぬものは何もない、諸行無常とうことですよ、と柴犬のハルさんはおっしゃっているが・・。ああ・・柴カワユス・・❤

じゃなくて・・この本の中で、仏陀はプーラナの言葉にどう答えるのか・・。
それはぜひ、この作品を読んで確認を。。

久しぶりに読み終わるのが惜しくなる長編小説。

本のタイトルや見た目におびえることなく、ぜひ手に取って読んでほしい一冊です。

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