このブログはアフリエイト広告を利用しています
渋滞の夜、闇に浮かぶ車のテールランプの群れを見て思わず、
・・・・・・・・・王蟲!
とつぶやいてしまったことがある。そんな日本人はきっと人口の半分はいるはず。そんな国民的アニメ、風の谷のナウシカ。
なんか映画版と原作版ではたしか内容が違うんだよね。
(そんで原作版はなんか難しいらしいから、読む気しないんだよね・・)
でおなじみのナウシカ。
しかしその難しい原作版が実はこのコロナ禍、ひそかに売れ続けていたことをご存じだろうか。うちの店で。(知るわけない)
世界を取り巻く空気が、人々の心をナウシカの世界へといざなっている・・。そのことを世界の片隅の書店でも感じられる、そんな日々が続いた。
なんとなく世界がディストピアと向かって言っているような、そんな感覚。
コロナに戦争に。。その感覚はさらに強化されていく。
そんな中「こんな今こそナウシカを読まなければならない・・!」と熱く思った記者が、原作「漫画版ナウシカ」について著名人たちにインタビューしたもの、それがこの本である。
生物学者、文学者、社会学者、俳優、漫画家、夜の世界出身の文筆家など、まったく異なる専門分野の人々が、それそれの立場からナウシカを読み解いていく。
これはもう、ナウシカ好きにとって面白くないわけがない。
ナウシカの原作漫画、難しくて挫折しました・・・!
という、ナウシカの原作にトライはしてみたものの、3巻までたどり着くことなく挫折してしまった人(ワタシ)にとって、もってこいの本なのだ。
人類は異物?
空は青。日差しは柔らかく、海は明るく輝いている。
湾岸の道を車を走らせる初春の朝、さわやかな風に吹かれながらある日、こんなことを思った。
人類って・・地球にとって異物だよね・・
すがすがしい朝に病む心。中二か。
でも、他の生物はすべて食物連鎖をはじめとする循環の輪の中に納まっているのに、
人間だけがはみ出しているじゃなですか。
生き物たちが本能に従って生きれば、自然と調和が生まれるようになっているのに、
人間がありのままに生きると雪の女王ならぬ破壊王となってしまう。
地球上のあらゆるものから奪うだけ奪い破壊し、何も与えずに生命を終わる。それが人間であるならば、地球からしてみれば
・・チョー迷惑・・
って感じだろう。
我死なば焼くな埋めるな野に捨てて 飢えたる犬の腹を肥やせよ
と詠んだ歌人もいたが、最近の食生活によってはたして人間が食べておいしいかどうかも疑問だ。
人間はいろんな意味で、犬も食わない存在となっているのではないだろうか。
そして最近では、
なんか、地球ももうオワコンになりそうだから、火星とかに逃げれる算段しちゃおうぜ。
みたいな感じになっとるし・・。
ひどいわっ・・アタシは都合のいい女だったのね‥っ
どうもやはり、人類はこの地球の調和の中で自然発生的にまれたというよりは、どっかからやってきた外来種、もしくは突然変異なのでは・・なんて気持ちも芽生えてくる。
そんなことを思っていた時に出会ったこの本の、動的平衡で有名な生物学者、福岡伸一氏の言葉がこちら。
人間は地球環境にとって「最後にやってきた、究極の外来種です。」他の生物はさまざまな形で環境を再生・維持する役割を果たしているが、人間は環境から収奪するばかりで、地球や他の生物種に迷惑しか、かけていない。
「危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』p80~81
(中略)少なくとも現時点では、人間は地球にとっての「がん細胞」と言っても過言ではない。
清々しくそのまんまw。
では福岡先生、常々
精神性と動物性が混ざると、質の悪い生き物(人間)になるなあ・・。
とも思っていたのですけど・・。
なぜ、人間がそのような生き物となってしまったのか。それは人間が「ロゴス(論理)」と「ピュシス(自然)」という二つの面を持つ矛盾した存在だからだ、と私は考えています。
「危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』」p81
「ロゴス」とはコントロールしたがる意識。
「ピュシス」とはコントロールできない自然。
その矛盾を内包して生きる人間。
ロゴスとしての人間は、文明によって自然や生命をコントロールしようとするが、ピュシスである生命は、どうやってもロゴスの手には余る存在で、さまざまな形でロゴスへの「叛乱」を起こす。環境問題や新型コロナウイルス禍も、その例です。
「危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』」p82
なんだかこんな図が頭に浮かびました。
コントロールしようとすれば混沌が生まれる。
そういえば養老孟司先生も、秩序がうまれると、必ずどこかで無秩序が発生する、というようなことを言っておられた。
常に矛盾のはざまで生きる私たち。
そう・・・
寝る前は太ると分かっていても甘いものを食べてしまうとか プラごみを出さない意識高い系に憧れているけど冷凍食品の手軽さに毎日負けてしまうとか 出荷されていく豚さんや牛さんたちをのせたトラックに出会うたびに心痛めるけどコンビニで豚バラニラ炒めとか牛丼とかは平気で買ってしまうとか
・・そんな矛盾に生きる私たちは、いったいどうしたらいいのだろうか。
その問いかけが原作「風の谷のナウシカ」であり、そのことについて様々な専門家が答えを考えているのがこの本なのである。
異物のわたしたちが生きる道
万が一、生まれ変わりがあるとしたら、皆さんはどこの星に生まれたいだろうか。
次に生まれてくるときには、月や火星に、もしかしたら宇宙ステーションに生まれてくる可能性もあるのかもしれないじゃないですか。
わたしは正直言って・・
月とか火星とか、あんな殺風景なところには住みたくない・・w。
木々がざわめき、色とりどりな花が咲き、さまざまな生き物が生きる、この美しい地球に住まわせてほしい。
人間がいない方が地球は健全にやっていけますが、人間にとって地球環境はなくてはならないものです。
「危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』」p80
なので本来、人間は地球に
あっしらは役に立たない居候ですが、
ご迷惑はおかけしませんので、どうかここに住まわせてくださいませ。
と謙虚に頼まなければならない存在かもしれないのだ。しかし実際は、
俺様はここで一番賢く偉いんだといばりまくり
当然のように家(地球)の金(資源)を使いまくり
家の金がなくなったらよそ(他の星)にたかりに出かける
そんなドラ息子のような生き物だとしたら。
ぼ・・ぼくたち、どうしたら更生できますか・・。
その方法を「風の谷のナウシカ」という作品を通して一緒に考えてくれる、それがこの本である。
漫画版風の谷のナウシカ。
おそらくこれから古典となって人類史上に残っていくであろう、このダイヤモンドのような作品を、あらゆる角度から照らしてその輝きを私たちに見せてくれる。
福岡伸一氏は、人間を外来種としたが、同じ生物学者の長沼毅氏はまた違う見解を示す。
破壊しか生み出さないように見える人間の知性もまた、自然の一部だというのだ。
宇宙の一部である地球が生命を育み、人類という知性体を産みだした。宇宙の内部に宇宙のことを知覚する存在が出てきたことはすごくおもしろいし、人類は祝福されるべき存在だと思っているんです。
「危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』」p199
なので長沼氏はナウシカが原作のラストで行った行為はまちがっていた、と主張する。
そうか・・そういう風なとらえ方もできるのか・・!
この本を読んで、どこに大きく共感するか。
それによって、自分が何を大切に思って生きているのかが分かり、原作のナウシカを独自の視点で読み解くための、ヒントを得ることができるかもしれない。
よく、ショッピングセンターなどの駐車場に、区画を区切るために植木が植えられていたりする。
働いている職場の駐車場にもあるのだが、その長方形のブロックで囲まれた植木を「雑草が生えるし、お客さんがごみを捨てるから」という理由で植木をすべて撤去し、コンクリートで固めてしまった。
殺風景になったなあ・・と思っていたのだが、その数か月後、新緑の季節になると、その長方形に固められたブロックの周辺から、コンクリートを突き破って草が一気に生え出したのだ。かわいい花も咲いている。
人間のコントロールに負けない、その生命力。
そんな世界にいつまでも住み続けるために、ナウシカの原作と合わせてせひ読んでほしい一冊です。