おもてなし、する作法に される作法【おもてなしという残酷社会】

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接客業をしていると、当然いろいろなお客様がいらっしゃる。

先日、注文したい本があるからパソコンで調べてほしいと老年の男性が声をかけてこられた。

パソコンで検索サイトを開きながら対応していると、

あんたはきれいな手をしておるね。さわってもいいね


と突然のお申し出。。
いい年したおばさんの手でも、おじいさまにはきれいに見えるのだろうか。

大変に光栄なことである。
しかし残念ながらここはその(手)のお店ではないので丁重にお断りすることに。

ダメですよー。お金もらいますよー(←丁重?)


すると

わしはな、老い先短いからもう金はいらん!いくらならいいな!?


とさらなるアプローチ。

コロナ禍だというのに、私の右頬20センチのところでセクハラに励むおじいさま。
とりあえず、話をそらすしかなさそうだ。

はいはい。(あしらいかた)
ところで、ご注文されたい本はどのような本ですか?


すると、おじいさまは元気よくお答えになった。

般若心経の本!CD付!

・・・悟りを開きたいのか、煩悩に生きたいのか。
そのはざまで揺れ動くのが人間だとおしえてくれているのだろうか。

だたこのようなおじいさまは、まだユーモラスだが、なかにはシャレにならない人も当然いる。

カスタマーハラスメント

先日も老年の男性が、開封できない商品を開けてみせろという。

返品できないなら経費で落とすか、お前が手出しすればいいんだよ!
そんなこともわからんのか!

・・⁉。

お前の接客はなっとらん!(えとせとらえとせとら)

も‥申し訳ありません。

おれはな!店長をやっていたことがあるんだよ!

はあ・・

息をするんじゃないよ!!

!!??。

謝罪は斜め45度に頭を下げるんだよ!

はい・・すみません。

お前年はいくつだ。
若い娘じゃないだろう!〇歳はいってるだろうが!

(あ、それよりもっといってます。やだー若く見えちゃいました?)


って、喜んでる場合か。

このような状況の場合、とにかく謝罪を繰り返すことでその場を収めることが、なんとなく接客のセオリーのようになっている。
荒ぶる神よ鎮まりたまえ〟ということだ。この時もそうやって、その場を収めたのだが、

なにやらその後、何日もモヤモヤが消えない・・・

悶々としていたら、このようなお客様の態度のことを「カスタマーハラスメント」というのだとスタッフが教えてくれた。
お店の店員に対してだけでなく、役所の人たちや医療関係者などへの過剰なおもてなしの要求や、説教、暴言などが社会問題になってきていて、ようやくサービス提供側も対策を講じなければという認識に至り始めているのだという。

そう、こうのようなハラスメントが生まれる背景には、日本のサービス側の対応の特殊性があるのではないかと,常々思っておった。

日本では、 明らかに法に触れるような案件でない限り、お客様の言うことは絶対、という価値観でサービス業は教育される 。

お客さんなんだから。大人の対応をしてよね。

しかし、それはもちろん万国共通の概念ではない。
世界の中でいったら、日本が特殊なのではないだろうか。

たとえばアメリカに留学したり、赴任したりすると、びっくりさせられることの連続である。
購入したばかりの車の具合が悪いため、購入した販売店に行き、担当した人物に文句をいうと、ふんぞり返った姿勢で、
「で、どうしてほしいんだ?」
などという。申し訳なさそうな態度が態度がまったくみられない。
部屋の空調の具合が悪いため、業者に事情を伝えると、
「使い方が悪いんじゃないか」
などと、平気でいいだす。困っている相手の気持ちの配慮がまったくない。

「おもてなし」という残酷社会 P23~P24

海外に誇るべき日本の親切丁寧な奉仕の精神にあふれた「おもてなし」社会。

しかしそれが最近では、働く人たちを精神的に追い込み、命すら奪う、
「ブラックおもてなし社会」になってきているようだ。

「おもてなし」という残酷社会 過剰・感情労働とどう向き合うか】榎本博明著 平凡社

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この本には、様々な分野のサービス提供の現場、対人援助の現場で、「お客様」の過剰な要求に対して疲弊する労働者のことが述べられている。

多くの労働者は、どうにも無理な要求でも、即座に断ることができず、無理を何とか無理でないようにしなければと必死になって働く。それが過重な仕事の負荷となって、過労死をはじめとする、健康上の深刻な問題を生じることにつながっていると考えてよいだろう。

「おもてなし」という残酷社会 P106

特に、医療現場や介護現場、教育現場などの対人援助の現場では、人間関係が密な職種であるだけに、ストレスはさらに強く受けることとなる。

いったいなぜ、このような状況になってしまったのか。

著者はアメリカで生まれた「顧客満足度」というものを輸入して日本に適用してしまったことにあるのではないかという。

このような概念は、自分より客を優先させない「自己中心の文化」にこそ必要なものであって、日本ではわざわざ取り入れる必要のないものだった。

「おもてなし」という残酷社会 P205

もともと客に丁寧な対応をし、客との信頼関係を大事にしてきた客商売の場に、顧客満足度などという概念が取り入れられるようになって、従業員は過剰な「お客様扱い」を強いられるようになったのである。

「おもてなし」という残酷社会 P20

過剰な扱いにより、「神」に昇進してしまった お客様からのクレームを恐れるあまり、
言うことをなんでも聞き入れてしまったサービス提供側と、
なんでも聞き入れてもらえることが当た前となってしまったお客様との間には、

かつてあったような「お互い様」という思いやりの信頼関係は失われていく。

甘え、の構造

以前、べたべたに甘やかされたのであろう坊やが

好きなアイスが店にない!お前が悪いんだよ!

と母親に暴言を吐いているシーンをみたことがある。
大変驚いたのだが、さらに驚いたのは、その子供に対して母親が

ごめんね〇〇ちゃん、ごめんね

と謝ったことだ。


(⁉・・ちょっとまて、かあちゃん。いいからちょっとそこにすわれ⁉)

と、そこにいた全員が心の中で説教モードになったものだが、

人間、だれしも自己愛が強いものだし、甘やかされれば図に乗ってしまう弱い存在である。
甘やかされた子がわががままな人間に育つのと同様、「お客様」と崇められ、ちやほやされるとつい調子に乗り、理不尽な要求、過剰な期待をする「手に負えない客」になっていく・・・。

「おもてなし」という残酷社会 P54

サービス提供側とお客様との関係も、いまやこの親子のようになっている、のかもしれない。

おもてなし する作法にされる作法

「お客様は神様です」

神前で手を合わせるような気持でなければ、本当の芸はできない。
そういう意味で言った名歌手三波春夫氏の言葉。

三波春夫オフィシャルサイト

その「お客様は神様です」という言葉が本来の意味を離れて、ひとり歩きした結果

土下座しろ、なんせ俺は神だからな。

というモンスターの詭弁として使われるようになってしまった。

チップなんてなくても、最大限のおもてなしをする。
それは日本人の、他者への奉仕の精神が現れた大変美しい文化だし、これからも守っていきたいと思う。

しかし、

おもてなしをする側に作法が必要だとすれば
おもてなしを受ける側にも作法が必要。

おもてなしをする側もされる側も、どちらも幸せな気分にならなければ意味がない。

誰かを奴隷にして喜ぶ人が増える社会。それは誰にとっても幸福な社会ではないのだから。

それにしても、今回なぜこれほど自分の気持ちのもやもやがながびくのだろう・・。
相手の言動に傷ついて腹が立った、だけではない何かがあると考えていて、気がついた。

立場が弱い(と思いたい)店員をやり込めて謝罪させたい客に対して
早くこの場を収めて帰ってもらうために(本当は悪いとは思ってもいないのに)謝罪する自分

・・・・そうか。自分に腹が立っていたのか・・。

それが〝接客〟じゃないか。あたりまえだろ。

そういう〝常識〟に結局、組している自分がなさけなかったのだ。

お客様だろうが何だろうが、人として間違った言動をする者は正しく否定される。
それが当たり前という空気を社会の中に作っていかなければならない。

そういう人には、

いいかげんにせんか!この、バカちんがあ~~!


といえるべきなのだ。

そういうことがいえる店員。そういふものに、わたしはなりたい。

※これを書いているときに、男性が医師に対して逆切れの挙句、散弾銃で撃つという事件が起きた。
とうとうモンスターカスタマーが人の命を奪う時代に・・。
被害にあわれた方のご冥福をお祈りいたします・・。