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人が幸せを感じるときはどういうときなのかが分かりました!という、心理学者のYouTubeが上がっていたので何気に見ていた。
スタンフォード大学(かなんかの有名大学)の研究によって判明したという「人が幸せを感じるとき」とは、
なんとお金をもうけたときでも、有名になった時でもなく、
「温かい人間関係に恵まれたとき」なのです!
ジャジャーン!
ということであった。
・・・・・。
そのあと、私は往年の漫才師のようにツッコむことになる。
いや・・・そりゃそうやろ。
温かい人間関係に恵まれたい。平たくいうと愛に恵まれたい。
それが人間の究極の願いなのではないだろうか。
人の悩みのほとんどは人間関係だというではないか。
人は温かい人間関係に囲まれたくて、友をもとめ、恋人をもとめ、家族を作りたがるのだ。
ただひとつ問題なのは、
なかなかそれが思い通りにはいかない。
というところにあるわけで。
そこから人生の迷走が始まる。
人生とは、愛を求める終わりなき旅路なのだ。
そして、その旅路の途中でわき道に迷い込み・・
現実世界が八方ふさがりになったら、もう・・
そんな、人生の旅路のお供に本がある。
自分が変われば人生が変わる・・・愛を求めて自分探し
人生の幸福がうまく手に入らないとき、まず最初に取り組むのは自己改造、自分探しではないだろうか。
まだ見ぬ本当の自分、その自分を発見して自分が変われば現状が変わる。
そんな希望を持つものだ。特に若いころは。
っていうか、持っていた。若いころは・・・。
〝なぜか〟好かれる、というのがいいですね。
愛されたくて目をギラギラさせているより、
普通にしてるんだけど、なぜか愛されちゃうの。
というキャラになりたいものです。
そんなナチュラル愛されキャラになるには、たった100個の習慣を身につければいいとのこと。
・・・・・。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
と、マザーテレサもおっしゃっていることですし、
愛されキャラが運命になるには100くらいの習慣を身につけるのは当然かもしれません。
がんばれ・・・みんな!(他人事?)
うまい棒、ボーナスに続く、三大ほしいボウの一つと言われる人望。
その中でうまい棒にしかご縁がなかった私の人生だが、どんな人物だったら人望を得られたのだろうか。
そうだ、どんな人だったら自分は尊敬を感じるだろうかと考えてみればいいのだ。
そうだな。。「実力があるのに謙虚な人」かな。
謙虚だけれど実力がない人は、憧れの対象にはなりにくい。
実力があっても傲慢な人は嫌われやすい。
常に実力を高める努力を怠らず
にもかかわらず、心の内で常に自分を人より一段下に置く気持ちを持っている人、
そういう人はきっと人望を集めるはずだ。よし、来世で頑張ろう。
そして、自分探しのためにインドに行ってみたい、と思う人に読んでみてほしいのが、
ニートの著者がインドを旅行した時の実体験を、あますところなく誇張して綴る旅行記。お腹がよじれるほど笑えて、世界の空気を味わえる絶品です。
旅から得られる鳥瞰的な人生観、ではなく、
部屋のベッドに虫がいる不愉快さとか、
他人の○○にまみれたトイレに耐えられるのか、とか、
旅というのもまた現実なのだ、ということが楽しく学べます。
この本の、太文字を多用してボケとツッコミですすむ文体は、密かに憧れですw。
パンをくわえて曲がり角を走ってみる・・・愛を求めて恋人探し
やだ、学校に遅刻しちゃう・・!
と、パンをくわえて学校に走っていると、曲がり角で運命の人とぶつかることになっていると思っていたのに、
けっこう出会わないな・・と気づき始める大人の階段を上るころ。
幸せは誰かが運んでくれると信じてはいられない、と思い始めたら、出会うためにはどうしたらいいかと悩み始めます。
白馬の王子様と出会った後に待っている生活・・・・・愛を維持できるか結婚生活
そして、パートナーを見つけても、その関係を温かいものに維持するのは努力が必要で。
そして、出会いってなにそれ、美味しいの?という一派の人はこじらせ道へと進みます。
ひとりでできるもん・・・・愛をこじらせボッチ最高
孤独テーマにした本の出版がやたら増えてきたように感じる昨今。
コロナ過だったこともあり、孤独を感じる人が増えていることを受けてのことなのだろうか、孤独というものを、ネガティブではなくポジティブにとらえよう、という趣旨の本がほどんどだ。
しかし、ひとくくりに孤独といっても、
お金もあって、いざとなったら頼れる家族もいるけれども、
あえて依存しないで生きる孤独を楽しんでいるざます。
というものから、
入院しようと思ったら保証人欄に書ける人が誰もいない・・。
という孤独まで、孤独にはグラデーションがあるわけで、
自分にぴったりの孤独の指南書を見つけることが大切だ。
しかし、孤独を精神的にどうとらえるか、という精神論なら取得しました、という人でも、一抹の不安が出るのが現実的な問題で・・。
ひとりでできるもん(金さえあれば)・・・・・・愛をこじらせやっぱ金
共同体、つまり人間関係とはある意味、互助組織でもある。
なにかあった時に誰かが助けてくれる、という安心感がある環境では、あまりお金にこだわる気持ちが生まれないのかもしれないが、
心のどこかに「いざとなったら頼れるものがお金しかない・・」という恐れがあった場合、
やはり最後に頼れるものは金じゃよ金!
という心境になるかもしれない。
愛を求める気持ちも、お金を求める気持ちも、エネルギーの出どころは一緒なのだ。
輪廻脱出装置・・・愛を超えて悟りの世界へ
そんなこんなで、諸行無常のこの世界。
温かい人間関係を運よく得られたとしても、それが永遠に続くとは限らない。
愛別離苦。出会いがあれば必ず別れが来る。
何をしようが努力しようが、どんなに願おうが
生まれた以上、与えられては奪われるという絶対的なルールに放り込まれて生きざるを得ない。
だって、人生ってそういうものだから
と、従順に受け入れて生きてきた人類の歴史。
かつてインドに、それにウンザリした人物が現れた。
「輪廻転生の思想が当たり前」の世界観の中で生まれたお釈迦様は、
なぜ何度も生まれては、生老病死の苦しみを繰り返さなければならいのか。
と悩み出家した。
俺は、悟り王になる!
といったかどうかは知らないが(言ってない)、家も妻も生まれる子供も、王子として背負っていた国家もすべて投げ捨てて出家した。
出家しようとしたところに子供ができて、
あなた、名前何にします?
と奥さんに言われ、思わず出家への意思が揺らいだのだろうか、
ラーフラ・・(障害)
と名付けちゃったパパ。今では毒親と言われても仕方のない所業だが、
その後無事出家を果たし、「悟り」という輪廻脱出装置を開発することとなる。
そんな仏陀のお話。
この本、ページ数787。
並んでいる棚を通り過ぎるとき、思わず二度見をしてしまったほどの分厚さ。
「仏陀伝」なんていかにも小難しそうなタイトルのうえにこの分量、
とても読む気になどなれない代物だと思っていたのだが、
妙にきになる・・・。
そして読んでみたら・・・たいへん面白かった。
仏陀が悟りを開くに至るまでのストーリーだけではなく、
釈迦国とその周辺国との政治的な関係や歴史、
自らの業により破滅へと向かう釈迦国、
その揺れ動く時代の中で生きるそれぞれの人々の思いが、真に求めているものへと収斂されていく過程が描かれていて
正直、仏教にさして興味がない人でも楽しめる、一大エンターテイメント小説となっている。
しかしこのお釈迦様のこの「輪廻脱出装置」。素人にはなかなか扱いが難しい代物。
そこで昨今、簡単な代替機能(?)として現れたのがこちら。
現実脱出装置・・・現実をあきらめ異世界へ
異世界では、ニートのおじさんが魔界戦士になったり、スライムになったり、地味で目立たない私が異世界で王女になってしまったりするらしい。
先日、とある異世界もの大好きという人と話をしていた時、
アイデアはあると豪語するわりになかなか行動しないので、
行動しなきゃアイデア実現はできないでしょ
といったところ、
だってえ・・、異世界なら、すぐに誰かが叶えてくれるんだもん・・。
と真面目な顔でのたまわれてしまった。
かつてIQが高く神童と言われたその人への異世界の影響力に振動が走るw。
異世界が現実を凌駕し始めているのか・・。
ということで、異世界ものは読んだことがないのだが、敬愛する岡田斗司夫さんが大絶賛の作品を紹介してみる。
ぼくらはみんな、生きている。
温かい人間関係を求めてさまよう人間たちの営み。それがこの世界。
その時その時の悩み望みに真剣に取り組んで、色々な本を読んで解決しようとして、
気がついたら悩みが解決したというより、
時間がたって悩みが別の悩みに移行しただけ、
ということの繰り返しで過ぎていく人生。
そう考えると、本を読むなんて実は意味がないのかも・・と、時折虚しさを感じることがあるかもしれない。(わたしはある)
しかし、読書はよく「心の栄養」という言われ方をする。
そうだ、本を読む行為とは
食事をする
のと同じなのだ。
食事は一度食べたらもう食べなくていい、ということはない。
毎日毎日、何かを食べなければならない。
取り込んだ食事を消化し、その繰り返しで体が作られていく。
読書というものもきっと、一度読んだらもう読まなくていい、ということはない。
常にその時々、何かを吸収しなければならない。
取り込んだものを昇華し、その繰り返しの中で心が作られていく。
人生の中で温かい人間関係に恵まれて充足しているとき、そういう時はあまり、人は本を求めないかもしれない。(もともとの読書好きでない限り)
自分が何か心に欠乏を感じているとき、心に得られる何かを求めているときに、本を求める気持ちになるのではないだろうか。
そういう気持ちで書店へ訪れる人たち、本を検索する人たち、
その人たちは皆、自分と同じ迷える子羊なのだなと思う。
そしてそこに仲間がいる、と感じたりする。
そういう人たちを見る時、わたしは温かい気持ちになるのである。