「お天道様はみてる尾畠春夫のことば」その美しい人をみよ。

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美しい人。
というと、どんな人を思い浮かべるだろうか。

ガッキーっすね!❤

モナリザかな

妻です。(っていわないとコロサレルので)

そんな世の中にいる様々な美しい人。その中から今回ご紹介する人は、この方である。

Audible

・・・・・・

そう、この方はガッキーのようなスベスベの白い肌ではないし、モナリザのように魅惑的に微笑んだりもしない。

100円で買ったパンツをつぎはぎしながら何年もはき回し、愛用しているステンレスボトルはもとはゴミ。風呂椅子が割れたらホッチキスで修繕して使い、初対面の著者(女性)に下ネタを言いながらガハハと豪快に笑う、おっちゃんだ。

しかしインタビュアーの著者、白石あずささんはこう記す。

広い草原の中、ただ一人、山に向かって深々とお辞儀をしている姿は、まるで一枚の絵のようである。誰にでもできる動作なのに、こんな人の美しい瞬間を見たことがなかった。透き通るような「美しい人」に私は心を打たれた。

お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P292

透き通るような美しいおじさん。果たしてそれはどのような人物なのか。早速みてみよう。

Audible

美しくない人。

と、その前に。
そうは言っても、こんな意見を持っている人もいるかもしれない。

けっ、人間なんてしょせん醜い生き物さ。美しい人なんていやしないね。

たしかに、色々な方のとても美しいとは思えない行動に、

カリカリカリカリカリカリカリカリ(怒)

することも多い日々だ。

とかなんとか言いながら、またもや本の紹介にかこつけて仕事のグチを言おうと思っているな、と疑いの皆様。

正解です。

脳内にふと「絶望に効く薬」シリーズの漫画家、山田玲司先生のお言葉が浮かぶ。

自分憲法で人を裁いてはいけない。
自分が正しいと思うことは、あくまでも自分の美学の範囲に収めておくべき。
そして、「ああこれは美しくないな、だから自分はしないようにしよう」と思ってるだけでいい

人生は許し選手権。許せない人が多い人ほど不幸になるよ。

そう、自分の価値観に人を当てはめてはいけない。彼らには彼らなりの美学があってその行動をしているのだ。

なので今から紹介するエピソードは決してグチではなく、美学の紹介です、美学の。
(うるせえ、いいから本の紹介をしろ、という方はコチラへ.)

節約の美学?

皆さんは「書店での立ち読み」についてはどのような意見をお持ちだろうか。

買わないで立ち読みばかりしているお客さんて、非常識だから注意したら?

というお客様もいるし

え?本屋ってたちよみするとこでしょ。

という人もいる。

昔のテレビドラマでは、長時間の立ち読みをするお客さんにの傍で、店主がわざとハタキをパタパタさせて追い出す、というシーンがあったりしたので、基本的に立ち読みは迷惑行為、という共通認識があったように思う。

しかし、最近のお客さんの中には「働いたら負け」なみに「金を払ったら負け」的な美学をお持ちの方が増えてきた。失われた三十年により培われた、節約を美学とする風潮の延長線上なのだろうか、

もしかしたら、カフェ併設型書店の影響もあるのかもしれない。カフェ併設書店とは、本での利益が出ない時代となったため、本や雑誌がタダで読めることを呼び水として、飲食での利益を上げようという取り組みをしている書店のことだ。

そんなこんなで、お客さんのイメージの中に

本屋の本は好きなだけ読んでいいもの。

という認識が生まれてきてしまっているように思われる。

しかし、本屋は図書館ではない。本屋にある本は「商品」である。
本屋に並んでいる本は、その1冊が売れることによって、多くの関係者が生きていくための糧としているものである。

そんな商品を、人が触った本を触りたくないからと、下の方にあるきれいな本をわざわざ抜いて立読みをする人もいる。買わないのに(泣)
しかも平気で折り曲げたりしながら読んでいる。買わないのに(泣)
パックしてある本を勝手に開けて読んでいる人もいる。買わないのに(泣)

そんなときは正直、そのお客様の背後に忍び寄り、両肩にポンっと手を置いて、

お客様・・・その本は綺麗な状態で誰かに買ってもらうために遥々ここまで旅をしてきた本です。
それを、はなから買うつもりもないあなたが、その手で汚してしまいました。痛めてしまいました。
そのため、その本はもう誰にも買ってもらえないでしょう。私たちが送料を払ってその本を送り返すことになるでしょう。

そして、もしかしたらそのあと廃棄となるかもしれません。

書いた人も、作った人も、運んだ人も、売った人も、誰も幸せにすることができず、
その本は紙くずとなります。

誰かに見初められてどこかの家の本棚に並ぶ、という誉も得られないまま、消えていくのですぅ~~・・。

と、耳元で呟いてやりたい衝動に駆られる。
そんな、書店員からのNOROIをかけられそうな美学をお持ちのお客様が今日もやってくる・・。

節約の美学・事例①

先日、店の隅っこに隠れるようにして座っている若い女性のお客様がいた。
何をしているのだろうとみてみたら、膝の上に本をのせて内容をスマホで撮影をしている。

・・お客様、申し訳ありません、本の中身の撮影は遠慮していただいております・・。

「あらそうなの?」と笑いながらスマホは横においてくれたが、それからも長時間、その場にしゃがんだまま本を抱えて読んでいる。
とにかく全部覚えてから帰るぜ!という意気込みだ。

(そこまで読みたいなら買ってくれ・・・・・?)

読んでいた本はどうも占いの本らしい。見た感じ「幸せになりたいけど1円もお金がないの」というわけでもなさそうだ。対価を払わず幸せになるべし、という美学をお持ちなのでしょうか・・。

節約の美学・事例②

中に何が入ってるかは開けてからのお楽しみ、というくじタイプのおもちゃが最近はやりである。

自分が欲しい種類が当たるまで買ってもらうことを目的としているのだが、同じ種類のものや、欲しくないものにお金を使いたくない、という理由から、商品を袋の外から触りまくって、中に何が入っているか確かめようとする人たちが続出している。(サーチ行為といって、めっちゃ店員から嫌われます・・)

気持ちはわからないでもない。しかし、先日とある小学生を連れたお母さまが、長時間袋をグチャグチャしながら触っているのみならず、袋をちょっと破って中を見ようとするしぐさまでしたので、さすがに

申し訳ありませんが、触って確認するのは遠慮していただけますでしょうか。

とお声掛けした。

店員を見るお母さま。

流れる沈黙。

そして、おもむろにまた視線を戻し、袋をグチャグチャし始めるお母さま。

・・・シカト????!!!!

鹿十!?頭の中で10匹の鹿が駆け巡る。それとも紫華斗かな⁈キラキラネーム⁈もしかして連れているお坊ちゃまの名前かな⁈

混乱する店員をよそに、それからも永いことグチャグチャした結果、ポイっと投げすてて帰られるお母さま。

ねえ、なかった?なかったの?

と騒ぐお坊ちゃま。

・・・・・

欲しいものを手に入れるためには、人の迷惑は考えなくていい、という教育の美学をお持ちなのでしょうか・・。

お客様、それは商品です事例

そんな風にお得に、できれば対価を払わず利益を得たい、という気持ちの最終形態が、

泥棒。だ。

せどりで稼ぎたいなあ・・。
仕入れをなるべく安くしたい。・・・・あれ?
じゃあ、タダで仕入れれば一番お得じゃん!

てこと(なのかどうかは知らないが)で、某ネット上のフリマに売るために万引きをする人物が全国で発生。

当店ももちろん?被害に遭っている。スマホを片手に検索しながら、仕入れよろしく売れ筋商品をサクサク盗っていく泥棒たち。

フリマ客
フリマ客

悪い奴がいますね~。わたしはちゃんと盗んだりしないで、新品未使用の商品を、そのサイトで賢く安く手に入れてますよ。

・・・ちょっと、待った・・・
こちらとしては、そのサイトで買う人達に対しても疑問があるのです・・。

なぜなら、少し考えてみればわかる。

同じ人物が、
新品・未使用の本を
頻繁に出品

していれば、あきらかにそれは〝何かおかしい〟ということが。

けれど、コメント欄には

安くで新品が手に入りました!ありがとうござます!高評価です❤

みたいなのが乱立している。・・まぢか。

安くできれいな本が手に入ればいいから、盗品かも?とか考えたことなーい。

まあ、おそらく盗品だろうけど自分には関係ないね。自分が捕まるわけじゃないし。

みたいな感じなのだろうか。

そして皆さんはもう、お気づきかもしれない。

美学美学と嫌味を言いながら、結局つらつらと愚痴を書き連ねているこの私の行動、
これこそがまさに、美しくない、ということに(泣)

行う人。~口がうまい人よりも、一回、手を動かす人が好き。~

その人はなぜ「美しい」のだろうか。

なにか素晴らしい、とされることを
考える人も
書く人も
話す人も
たくさんいるけれど、

行う人
は、ほとんどいない。

尾畠さんはその、行う人、だ。

誰かがブログでグチをこぼしている時間に、
尾畠さんは海辺でゴミを拾って過ごす。

被災地の惨状を見て「大変だ」「国は何しているんだ」などとテレビの前で物申しているときに、
尾畠さんは被災した家の泥をかきだす。

尾畠さんにとって大切なのは、立派な意見でも理論でも名誉でもなく、
ただ今この瞬間に助けを必要としている人のために、体を動かし、心をこめること。

被災地ではね、偉い人はさーっと遠くから視察をするだけ。泥まみれになって現場の中まで見る人はほとんどいないね。ただ遠くから見るのと、被害に遭った地域のど真ん中を歩くんじゃ全然違うんよ。匂いはすごいし、泥や瓦礫で前に進めんし、動けなくて座り込んでる被災者もおるし。(中略)どんなに口がうまい人よりも、一回、手を動かす人が好きです。ワシは。

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P211~212

毎日の食事は朝は5割、昼は3割、夜は2割。虫が穴をあけるような新鮮な野菜を食べ、食べたぶんは汗をかいて消化しなければと毎朝10キロ走る。

魚屋の仕事を引退したらやりたいと思っていたボランティア活動は、2004年の新潟県中越地震でデビュー。鳶職人の経験もある尾畠さんの知恵で、被災者の大切な嫁入り箪笥を壊すことなく運び出すことができ、喜ばれる。山が好きな尾畠さんは、由布岳の整備ボランティアもしている。

そして、らこちらもやりたいと思っていた長年の夢の、日本縦断の旅に出ることに、

行動力・・。

しかも日本を縦断する方法、それは、
歩き。

ワシか⁈(by伊能忠敬)

「暗くなると歩くのをやめてね、国道沿いのヤブの中とか、公園や河原、お墓やお宮とかにテントを張るの。年金生活はお金がないから野宿して節約。そのほうがどこでも眠れるから融通もきくし」

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P124

テントは折り畳み傘にブルーシートをかぶせたもの。食料は海岸のわかめや道端の雑草で現地調達。あやしいものだと思われない工夫をして歩いていると、応援して差し入れをしてくれる人もいた。

そんな人たちの中でひときわ印象に残る人と出会う。宮城県に立ち寄った時に、雨でびしょ濡れの尾畠さんを気遣って、温かいおこわを持ってきてくれたマキノさんという女性だ。

「その時の姉さんの歩き方で、左半身が不自由なことに気が付いたんよ。それなのにな、両手で抱えるほど重たいおこわを一生懸命、運んできて。『これ食べて元気、出してな』ちゅうて」

お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P125

そんなで出会いのあった日本縦断は無事ゴール。その後も、四国巡礼をしたり(魚屋として多くの魚の命をいただいてきたことへの供養)、山のボランティアに精を出したりと、忙しく日々は過ぎる。そして2011年、

東日本大震災が起こる。

真っ先に頭に浮かんだのは、おこわを持ってきてくれたマキノさんの安否だ。

電話はつながらない。でもどうしてもあの親切な女性が無事なのかを確かめたい。居ても立っても居られなくなった尾畠さんは被災地へ行く決心する。

ガソリンも不足し道も困難な中、尾畠さんは被災地へと向かう。たった一度、旅の途中で出会った女性の安否を確認するために。そして60時間、3日間かけで被災地に到着。無事だったマキノさんとの再開を果たした。

そして、そのまま宮城に留まり、ボランティアを開始。
瓦礫の中からアルバムや思い出の品を探してきれいにして、持ち主に渡すという取り組みでる「思い出探し隊」の隊長に任命される。

ボランティア仲間も集まって作業にいそしむ日々。もちろんうまくいくことばかりではない。

どんなにひどい状態の写真でも、その持ち主にとっては宝物。なので「首から上がない写真以外は全てとって置いてください」とお願いしていた。けれど、ごみ箱に捨てられていることも。

そういうとき、尾畠さんは捨ててしまった人に注意することはしない。

「(略)『これ捨ててあったよ。気を付けてね』なんて本人に言うと傷つくだろうからね。だからその日の作業が終了してみんなが帰った後、ゴミ箱の写真は、一枚一枚、チェックして、まだ残せるのがあったら、夜なべして自分で洗ってね。それはもう隊長に任命されたワシの責任じゃろうなと思ったから」

お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P148

そうやってきれいにされて、展示された写真たち。そはれつらく苦しい日々を過ごしている被災した人々を笑顔にした。

家を流された一家が、子どもの小さい頃の写真を発見して喜んでいる。中には亡くなった家族の遺影にすると大事に持って帰る人もいた。 

お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P146

被災地の人々からはいっさい何ももらわず、すべて手弁当で心を尽くしてボランティアに励む尾畠さんには、頭が下がるばかりだ。
しかし、世の中、そんな風に受け止める人ばかりではない。

他者は自分の鏡

尾畠さんが全国的に有名になったのは、2018年山口県で行方不明になた子供を見つけたことがきっかけだった。消防と警察が150人態勢でも探せなかった2歳の男の子を、探し始めてすぐに見つけだしたのだ。

それからスーパーボランティアとして有名になり、マスコミの寵児に。

誰もが驚き、称賛するわけだが、尾畠さん自身はは「自分の力は20%ぐらい」という。
残りのうち20%は子供本人のちから。では、あとの60%はなんなのか・・

それは後に述べるとして、ただ、そうやってマスコミに取り上げられると、こんな風に思う人もでてくる。

人のために尽くして生きるスーパーボランティア?
・・・・正直、なんか、うさんくせー・・。

思っているだけならまだしも、本人を目の前にして不躾なことを言う人もいる。

尾畠さんが著者と由布岳に登った帰り道のこと。

・・・山の帰り道に立ち寄った街で、出会った男性が尾畠さんの顔を見るなり、「神様、仏様、尾畠様。次に子どもが行方不明になったら、あんた行かんでいい。代わりに俺が行って探して有名になるから」と聞こえよがしにつぶやいた。私はムッとして「それはちょっと・・・(失礼なのではないか)」とその男性に顔を向けたが、尾畠さんは「姉さん、いいから」と目で遮った。よほどショックだったのか、何も言わずうつむいていた。男性が去り、車に戻った尾畠さんが悔しさを絞り出すような声でつぶやいた。
「もうね、一生懸命やってもね、『ボランティアして儲かったのか?』『テレビ局に金をもらったのか?』って言う人もいて。もう反論する気もないんよ。月5万5千円の年金を切り詰めて、被災地の往復のガソリン代も出しているのに冗談じゃねえって。」

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P227

他者は自分の鏡という。

そのような人はきっと、尾畠さんという鏡に自分の醜い姿を映してみていたのだろう。
そして、そのことに気づかずに自分の姿に向かって嘲笑しているのだ。

そんな人に子供を見つけることはできない。

なぜなら尾畠さんが子供を見つけられたのは、単なるラッキーだったからではないから。
それまでの人生経験の蓄積のうえで、与えられた使命だったから・・。

少年時代

豪快なようでいて、とても繊細でもある尾畠さん。
山の木に危険防止の看板を括り付ける、という作業一つでも、木が苦しまないように配慮する。

そのような人物とはどんな生い立ちなのだろうか。愛情たっぷりに育ち、人を信じたり愛したりできる環境にいたのだろうか。

しかし尾畠さんの少年期の生活は、正直、それを言い訳にして盗んだバイクで走り回っても許されるのではないだろうか、というものだった。

貧しくとも家族そろって暮らしていた子供時代。しかし、10歳の時母親が他界してすぐ、尾畠さんは兄弟で一人だけ丁稚奉公に出される。

朝4時から牛馬の世話をして、どんなにお腹がすいてもご飯は一膳しかもらえない。学校に行けるのは雨が降って農作業ができないときだけ。あとは朝からずっと働き続ける毎日。

しかも、そんな生活を4年続けたある寒い冬の朝、突然、奉公先の主人がら因縁をつけられ、追い出されてしまう。

「もう、びっくりしてね、何かその前にひと騒動あったわけじゃないんよ。そしたら、『今すぐ出てけ!うちのものは全部、置いて行け!』って。頭の中が真っ白よ。ワシね、自分や家族の草履をいつも藁で編んでたの。ということは、草履を作ってる藁一本だってこの家のもんでしょ?だから草履も脱いで1時間半かけて裸足で歩いて実家に帰ったんよ」

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P62

その後も別の奉公先へと出され、ほどんと学校にいけないまま中学を卒業する。

さらに終盤の終盤になって、尾畠さんの未だ癒えない、大きな心の傷が明かされる。その内容はここに記さないので、本を読んでほしいのだが、その生い立ちを知った時、尾畠さんの偉大さに驚愕する。

その苦しみや悲しみを、いったい、どうやって人々へのへと変換できたのだろう、と。

その答えの一つが次のキーワードなのかもしれない。

感謝

由布岳に登る尾畠さんと著者。
草原の気持ちよさ、山に登れる体に生んでくれた母親、山の木々や空気に感謝の言葉を述べる尾畠さん。

「尾畠さんは何でも感謝するんですね」
「そうです。ほんと幸せですよ、今日はあなたと登れて。幸せ(四合わせ)と幸せで鉢合わせ(八合わせ)ですよ。」

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P259

辛い生い立ちを聞いた著者が、

なぜ自分だけ・・・そんな思いは膨れ上がらなかったのだろうか。兄弟でただ一人、家を出され、学校には行けず、飢えと重労働と孤独の日々。もし私が尾畠さんの立場だったら、兄弟や同級生に嫉妬するだろうし、自分だけ父に愛されていないのかと恨むこともあるだろう。

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P63~64

と疑問を投げかけたときも、

 「そうやなあ。恨んだり悲しんだり憎んだりしても1日、人に優しくしたり笑顔で接したりしても1日。どっちがいいかと考えたら、笑顔でいたほうがいいかと思って。助けてくれる人たちもいたからね。今になってみれば、誰にもできない素晴らしい経験をさせてもらった。忍耐力、生き抜く力、プラスに考えること。お金出してもね、あれだけの経験はできんな。だから、今では家を追い出した飲んだくれの親父にも少しは感謝してるんよ。」

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P63~64

尾畠さん少年時代には、苦しみが多く降り注いだ。しかしだからこそ、

その中でときおり降りてくる優しさや暖かさ、それをどんなに小さくでも見逃さず、大事に胸にしまう。

そしてその恩返しとして、何倍も大きな愛を世の中に返そうと生きる。

まるで深い信仰心のある人のようだ。著者も尾畠さんに「空海の生まれ変わりなんじゃないですか」と言ってしまうほど。

しかし、意外にも尾畠さん自身は「神も仏も目に見えないものは信じない」という。

お天道様はみている

普段から「自分が神であり、自分が仏である」って思っちょる。「尾畠さん、何を信じる」?って聞かれたら、「ワシは無信心、無宗教、自分で自分を信じる」といつも答えるんよ。

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P276

これだけ聞くと、無信心な現代人の代表のような考え方だ。しかし、そのあとこう続く。

 だからワシはね、誰も見てなくても、いいことをしたら「尾畠さん、あんたはよく頑張った!」と自分で自分を褒めるし、失敗したり思ったことができなかった時、「尾畠さん、あんたは何で今日、あんな失敗したんだ?」って自分で自分を叱るんだわ。それがワシは好きなんよ。

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P276

神や仏は自分の中にある。次の行動にも尾畠さんのがにじみ出る。

尾畠さんはかつて隣人から、体を壊して経営できなくなったアパートの土地を、1円でいいから買ってほしいと頼まれる。すると尾畠さんはその土地の値段を調べ、価値に見合った出せるだけの金額を支払って購入した。隣人は泣いて喜ぶ。

 人が困っているときに、「これはチャンスじゃ、儲け口じゃ。安く買い叩こう」と思っているような人には声はかからないし、縁はない。本当よ、もし運よく手に入れても、そんな人はいつか大きな損をすると思うわ。いいことをしてもズルいことをしても、お天道様はちゃんと見てるんよ。

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P116

お天道様はみている。

これは信心深い人から出る言葉だ。なのに神や仏を信じないという尾畠さんを不思議に思って、著者も「お天道様が見ていると信じているということは、神や仏を信じているということなのではないですか?」と聞いてみる。

すると、尾畠さんは即答する。

尾畠さんにとって、お天道様とは・・・。

と、これは本書でのお楽しみなのだが、

迷子の子供を救えた理由のうちの最後の一つ、60%の理由がまさにこれだ。

「それはな、お天道様の力なんよ。『春夫よ、この道をこう行きなさい』って照らしてくれた。そして山の風がワシのところに、『おいちゃん!ここよ!』ってヨシ君の声を届けてくれたんです。姿も何も見えないのに、耳元で、大きな声で」

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P172

お天道様に恥ずかしくない生き方をしている尾畠さんを、お天道様が導いたのだ。

小さい頃から壮絶体験をし、苦労に耐えて生きてきた尾畠さんは、特別に強い人だ。しかし、その強さを自分の幸せのためではなく、困っている人のために使っている。そして、強いから小さなことなど気にしないのではなく、むしろ、人の心の小さな傷に気が付く繊細な人だと思う。

「お天道様は見てる尾畠春夫のことば」P230

人は選ぶことができる。

人生に起こった出来事の中から、人を傷つける理由を選ぶことも、
人生に起こった出来事の中から、人に優しくする理由を選ぶことも。

その後者を選ぶ勇気を持った人。

尾畠さんの趣味ではないかもしれないけれど、もし、漫画のように神様が天から地上を見下ろしていたとしたらと考えてみる。

尾畠さんの魂はきっと、地上の中でひときわ、明るく、美しく 輝いて見えるだろう。

美しい人とはきっと、そういう人のことを言うのだろう。

著者:白石あずささん

尾畠さんの本を読もうと思ったきっかけは、著者である白石あずささんの前作、

Audible

が、とても面白かったからだった。

相手は世界でも有名なお坊さん。でありながら、まるで仲の良い親子のような丁々発止でユーモア満載。お互いが心を通わせているゆえの温かさが伝わってくるようだった。

なので,

またそういう本が読みたいな~。白石さんの他の著書、ないかな~

と探していてこの本と出合った。
(佐々井秀嶺氏に尾畠春夫氏・・・どこか似ている二人・・w

今回の尾畠さんの本の中で「自分では一言も書いていないのに、自分の名前で本が出版されてしまった」と、尾畠さんがちょっとぼやくところがある。有名人になると、利用しようと魑魅魍魎が群がってきたりするのだろう。

けれど、白石さんにはインタビューする相手への誠実さと愛情が感じられる。だから300ページ近くのこの本も、あっという間に読み終えてしまった。

そして、自分も一人の人物と出会ったような、そしてそれによって人生がちょっと変わったような、
そんな気持ちになれる本だった。

そういう本を、ぜひまた読みたいです。

Audible