壁・ドン!【壁とともに生きる わたしと「安部公房」】

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人生に壁を感じますか。
目に見えない壁に閉じ込められたような、そんな不安と戦ってはいませんか。

そんなあなたには、マザキマリさん(とヤマザキマリさんがおすすめする安部公房)をおすすめしたい。

Kindle Unlimited

大人気コミック「テルマエロマエ」で有名に作者で人気の漫画家さん。と思っていたら実は本業は肖像画家だった山崎さん。

コロナ禍でたまたま日本に閉じ込められてしまった(?)せいで、テレビのゲストなどでお見掛けすることが多かったこの数年。

この方のお話を聞くたび、いつも感じることがあった。

なんか、壁に穴が開くなあ・・・ 

なんというか、この方の話を聞いていると、面白いだけでなく、心がパアッと晴れていくような不思議な解放感を感じるのだ。

自分の周りを取り囲んでいる壁を、ヤマザキマリさんがボコボコっ・・!!っとぶっ飛ばしてくれて、壁に大きな穴が開くような感じ。
そしてその穴の向こうには、広大な大地と青空が広がっている・・。そんな感じ。

それがなぜなのか、この本を読んで納得した。

私が壁の外へ出て、さまざまな外国に行き、そこで暮らすのはなぜかというと、価値観の一定化を嫌うからだ。

「壁とともに生きる」P20

そうか・・やっぱりそういうことか・・。

私はむしろ、海外の価値観の違いに打ちのめされるであろうことを恐れて、日本という「壁」の中に引きこもっていたがる人間だが、
このコロナ禍においては、さすがにこの国にいることの息苦しさを感じて

外に出てえ・・!

という気持ちになったことがあった。
それは、自分を取り巻いている価値観という壁の束縛を、コロナがあからさまに浮き彫りにしたからだ。

しかしそういう、普通の人がその前で立ち止まってしまうあれこれも、

たいしたことじゃないじゃないっすよ~

的な感じで飄々と超えてしまう、その抜け感。

絶対的価値観だと信じ込んでしまっている壁を破壊するその感じは、ウォールクラッシャーとでも命名したくなる。(造語のつもりだったんだけど、調べたらそういう名前のコンクリートを破壊する工具が実際にあったw)

その風通しのよさは、ヤマザキさんが意識的に、固定された価値観に束縛されない生き方を選んできたからだったのだ。

その風に救われた人もきっと多かったと思う。だから、あちこちのメディアで引っ張りだこだったのだろう。コロナ禍にヤマザキマリさんが日本にいてくれたことは、天の恵みであった。

しかし、ヤマザキマリさん自身も苦も無くその境地に達したわけではない。

若いころから暮らしていた海外で、様々な「壁」に苦しんできたという経験を通して、そのような境地にたどり着いたのだということがこの本でわかる。

そして若いころに苦しんでいたヤマザキマリさんを救ったのが、安部公房なのだという。

安部公房

文学好きのある人から

安部公房を置いてない書店など、書店として認められぬ。

という苦言をいただいたことがあった。
安部公房という作家が、それほどの存在だということは知っていた。
しかし実際のところ、田舎の小さい本屋で安部公房が売れるのことはほとんどナイ・・。

正直、私も安部公房のイメージは、
暗そう、重そう、読んだらトラウマになりそう
というイメージだった。

例えば、息子が部屋に何日も閉じこもって夏目漱石を読んでいたら

うちの息子は読書家だなあ・・?

と思うくらいかもしれないが、

息子が何日も閉じこもって安部公房を無我夢中で読んでいたら、パパ、ちょっと心配になる、みたいな。

・・・閉じこもってばかりいないで、ちょっと外で体動かそうか。な⁉

と、キャッチボールにしつこく誘って「うるせえな」とか言われそうだ。
そういう印象を持っていた。(これを偏見の壁という)

しかしヤマザキマリさんはいう。

疫病や不安な世界情勢に対して漠然とした不安に襲われ、価値観の甚大な変化に否応なく曝されている今、私たちは急に仕切りの壁を作られて、一人ずつ透明な壁に囲まれているような状況に陥っている。(中略)安部公房はかつて自らが得た過去の多様な不条理かつ理不尽な経験と、そこから芽生える深い人間洞察によって、こんな時代に生きる私たちに素晴らしい書籍をいくつも残してくれた。彼が自らの作品の中に描いてきた様々な壁画を正面からじっくりと見つめるのに、今ほど相応しい時代はないだろうと私は思う。

「壁とともに生きる わたしの安部公房」P20

いまこそ、安部公房が心にしみる人が増えているのではないかというのだ。

部屋に引きこもっている息子がしていることは、ただの読書ではなく、
部屋という壁を出たところでまた現れる、この世界にあるありとあらゆる「壁」をぶち壊す術を、安部公房から学んでいることろなのかもしれない。

パンデミックが浮き彫りにしたガラスの天井ならぬ、透明な壁。
なんだかしれないけれど自分を取り巻いている窮屈なもの。

それらの正体を知りたければ、安部公房を手に取ってみよとヤマザキマリさんはいう。

【ヤマザキマリ著 「壁とともに生きる「わたしと安部公房」 NHK出版新書】

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この本はヤマザキマリさんが 6種類の壁にそれぞれ安部公房の作品を当て、作品のあらすじと、それに関連したヤマザキマリさんの経験談や考えを合わせて紹介する形となっている。

  • 第一章 「自由」の壁ー『砂の女』
  • 第二章 「世間」の壁ー『壁』
  • 第三章 「革命」の壁ー『飢餓同盟』
  • 第四章 「生存」の壁ー『けものたちは故郷をめざす』
  • 第五章 「他人」の壁ー『他人の顔』
  • 第六章 「国家」の壁ー『方舟さくら丸』

その中で、壁にぶつかっている人に効きそうなウォールクラッシャー語録を少し抜粋してみよう。

まず第一章の中から、

「絆」という言葉を美徳のように今の人たちは使うけれど、そんな言葉に操られなくたって、人間はまとまるときにはまとまる。そういう状況になれば、扇動されなくたって、いやでもみんなつながらなきゃいけない。(中略)「家族の絆」などとさぞかし美しい理念のようにうたわれる言葉だって、血縁というだけで結束しなければならないという暗黙の了解がある。親子である限り良き理解者であらねばならないなんていうのは、人間にとって一番身近な群れへの帰属を義務づけるかのような、都合のいい倫理的妄想なのではないだろうか。

「壁とともに生きる」P52

家族の壁に悩んでいる人にとっては、やたらと〝絆〟をごり押ししてくるテレビ番組よりも、この言葉の方が救いになるのでは。

第四章では、まったく価値観の合わない二人が生き延びるために協力し合わなければならないサバイバルの物語が紹介される。

嫌な奴とずっと一緒にいなければならない。しかもその相手は信用できない。そこも素晴らしい。信用できないものとの共生というのは、人間にとって大事なことだと私は思う。

「壁とともに生きる」P175

信用できない嫌な奴と、離れることができない状況。

イヤですよねぇ・・できればそういう状況は回避したいけれど、回避できない状況に置かれることは人生ままあるもの。

普通それは不幸だと考えられるし、それからどうしたら逃げられるかを知りたがる。

しかし著者はそれを〝人にとって素晴らしい状況〟だという。

人と人は信頼しあうことが大事。そんなきれいごとだけを教えられてしまった現代人には、まさに目からうろこの語録。

他者との共生とはどういうことなのか。
きれいごとなしの本質を、安部公房は教えてくれるという。

思考停止が生む〝つるん感〟

壁を壊して外へ出よう。

とはいってみても、壁を壊して外へ出ることは勇気がいる。
仲間を失い。孤独になり、どんな敵がいるかもわからない未開の地をひとり、旅をしなければならなくなるわけだから。

壁は、自分を閉じ込めるものであると同時に、自分を外部から守る盾でもあるわけで、その中に安住していたほうが安定と安心をもたらしてくれるかもしれない。

でも、その壁の中で安住することは「思考停止」という危険性も生む。

たとえば、何か信仰とかの団体に属していて、それに対する帰属意識の高い人がいるとする。

そういう人たちは、とても知的な感じの人もいるし、善良そうだし、真面目そうだし、とてもいい人そうなんだけどなんというか、お顔を見ていると、こう・・・

・・つるんとしている・・。

と感じないだろうか。(なんか危険なこと言ってるだろうか・・w)

あの〝つるん感〟は何なのだろうと、いつも見るたび考えていたのだが、ふと、信仰の妄信や帰属意識というものは、ある種の思考停止を生む「壁」にもなりうるからなのかもしれないと思った。

信じているその壁は、彼らを守る盾であり、寄りかかることができる癒しである。その中にいる仲間たちは、同じ壁を共有する分身である。

そこはとても居心地がよく、それ以上のことを考える必要がない。
その壁を信じ、その壁を守ることだけ考えればよく、その壁を壊して外へ出るべきとは考えない。

その思考停止している状態が、あのつるん感を生み出しているのかもしれない。

壁を壊して道なき道を行くという事。それは、なかなかできることじゃない。

・・「壁」の外に出ることは、自由になることであると同時に、無慈悲で非情な現実と向き合って生きていかねばならなくなることだ。誰も自分を映し出してくれない世界では、凶悪な孤独感にも苛まれるだろう。
 けれどもナショナリズムなどの集団的高揚感に身を委ねてしまうと、それはとても危険だ。そこでは価値観の共有が強制されるために、自分が船の舵をとることができず、また、舵をとれるような知性も体力もむしろ推奨されないから、まかり間違うと太平洋戦争のように集団で滅亡へと突き進むようなことになりかねない。安部公房が指し示す「盲人に連れられていく盲人の群れを描いたブリューゲルの絵」(「死に急ぐ鯨たち」一九八四年『死に急ぐ鯨たち』所収)のように。
 だから、そういうことにならないように、それぞれが自分自身で舵をとれる知性の力と想像力の力を備えようとする。たとえ群れの中で生きていても、流されずに立ちどまって、俯瞰で人間の生きざまを観察する能力を持つことができるように。

「壁とともに生きる」P260

たとえ壁から完全に逃れることができなくても、その中にあっても思考停止せず、自分の頭で考えること。

そうすれば〝つるん〟とした顔ではなく、ヤマザキマリさんや安部公房のような、そのお顔の奥にある物語を読み解きたくなるような、魅力的な顔になれるのかもしれない。

考えることを他者に預けてしまっていないか。思考停止していないか。
自分はつるんとした顔になっていないか。

それを確認するためにも、安部公房のような作品に時折触れることが必要なのかもしれない。

「いきなり安部公房」に壁を感じる人は、まずこの本を読んでみるのが個人的にはおススメだ。

(※捏造) 第七章 自分という壁

さて、この本の第七章である。

ウソである。

人のことをあれこれいっているが、では私はつるんとした人間になってしまっていないだろうか。

今の自分といえば、壁と完全に同化することもできず、ちょっとだけ壁を壊してみたりして、とはいっても、そのむこうに飛び出す勇気はなく、
ただ、穴の内側から遠くの空を見上げ、壁にもたれてコーヒーを飲んでいる。そんな日々だ。(カッコよくいってみた)

そして、外へ飛び出せない理由は、実をいうと自分にとっていちばんの壁を、

自分

だと感じているからかもしれない。

自分という壁。
それは、どこへ逃げたところでついてくる壁。

自分を変えるためにはどうしたらよいかというジャンルの本たくさんあるのも、みな「自分」というものに壁を感じていて、それを壊したい願望があるからなのではないだろうか。

お釈迦様もおっしゃっている通り、人間の苦悩のほとんどはこの「自分意識」つまり自我から生まれる。
だからこの自我の壁を壊せば、苦しみから解放されて素晴らしい世界が待っているかもしれない・・と思うのだ。

しかし、そこで一つ問題なのは、その自分の壁を破壊して脱却するためにはどうも、

悟り

が必要らしい、ということ。

心頭を滅却し、瞑想にて深い無意識の領域にたどり着き、そこで実はすべてがつながっていてひとつなのだ・・・!というAha経験をしなければならないらしい。

しかし凡夫に「悟りを開け」というのは、運動会のかけっこでいつもビリだった人間に、100メートル9秒台をだせ、というくらいの難しい話。

なのでそれ以外に自我を滅却する方法があったらいいと思いませんか。

なんと、それがあるのです・・!それは

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(だって原材料、土だから!ワシが作ったやつじゃから!)

・・・ではなくて、それは

眠る

こと。

寝ている時間は唯一自我から解放される時間。

「あなたにとって一番一日で幸せな時間はいつですかと」聞かれたら、迷わず「寝る前の意識が遠のいていく時間」と答えるわたし。
自分から解放されていくあの至福の瞬間。

そう、休みの日に波打ち際のトドよろしくゴロゴロしているのも、学生時代、授業中に先生に怒られても寝ていたのも、

実は、自我の滅却という自分の壁を壊す戦いをしていたからなのである・・・!。

・・・・・・というアホなブログを読んでいる時間があったら、やはり安部公房の1冊でも読んだ方が良いかもしれません(泣)

では、おやすみなさいませ・・。